ミサワホームの話

ミサワホームの話

社長の成り行き

林氏といえば朝日ソーラーだが、その林がトヨタと組んでいったんは進出いしかけたのが住宅事業だが業界の先達です。
業者(ミサワホーム)の三澤氏は最近、新規建築メーカーのミサワ・インターナショナルを立ち上げたのです。

三澤氏は70歳になってから、4年前の夏、経営難に陥ったミサワホームから追放されました。
しかも産業再生機構傘下で再建を進めるためのけじめとして、持ち株もすべて供出させられたことは周知のことであり、三澤は役員としても株主としても、完全に影響力を失うことになります。
ちなみにミサワホームでは、竹中平蔵・元金融相の実の兄にあたる竹中宣雄の社長就任が決まっています。

そもそもの原因は自ら招いた経営不振です。
カリスマといわれた創業者がここまでひどい扱いを受けることはあまりないことです。
三澤にとっては、何があっても許せない成り行きだろうと思われます。

 

社長の経歴

学生時代に考案した木質パネル接着工法を事業化し、これを武器にミサワホームを業界大手におしあげたこともあります。
よくも悪くも、プレハブ業界を代表する人物だがしかし、現在の三澤は、従来のプレハブとは対極にある“200年住宅”「HABITA」を擁しています。

住宅業界に再び打って出ようとしていることは事実です。
柱を太くすることで、しっかりと乾燥させた国産材を使って、日本の一般的な民家などの5倍の耐久性を現実にさせようという野心的な試みもあるそうです。

ミサワホームの代表的工法である木質パネルを使ったつなぎ止める工法は、三澤氏独自がふと天井裏にはどこにでもあるあの太い家屋にとって重要な、建材である『はり』を邪魔だと感じたことから発想したものです。

今はそれとは全然ま逆の重い感じの住宅づくりで、業界に一矢報いようとしています。
建築家はだいたい70歳を過ぎてから代表作をつくるものであり、丹下健三さんの設計した東京都庁を見るようにうながしました。
ミサワホームを離れてからすぐ後に、個人の資産から7億5000万円の資本金を知恵をしぼって考え出すことで、ミサワ・インターナショナルを起業しました。

 

再び登る

すでに販売・施工の協力会社が20社ほど集まり、すでに販売を始めているそうで、その中には「三澤さんがまた事業をやるなら」と名乗りを上げた業者もいるほどです。
商談の場では、自然と昔話に花が咲くようであり、若いころの自分に、灰皿をぶつけてきた人もいたと話し、お客さんに湯のみを投げつけた、という話も聞かされたそうです。

しかもそのお客さんは家を建てさせてくれたが、自分にはそのようなことは覚えていなかったというエピソードがあります。
我をも忘れる勢いで情熱をかけミサワホームを伸ばしていたころのエピソードであるのだが、ミサワ・インターナショナルの実質的な営業初年度である昨年は1億円の利益を確保しています。

しかし、今年はそれを6億円に増やし、さらに来年は24億円に持っていく計画であり、市場はどこでもいい、上場を目指しており、そして最終的には、住宅最大手になりたいと語っているそうです。