NISSAN(日産)

NPR

新生日産自動車において99年10月、社長の座に就いた言わずと知れたカルロス・ゴーン氏は経営を抜本的に立て直す計画として「日産リバイバル・プラン(NRP)」を発表したことは記憶に新しい人が多いでしょう。
このNRPの中で経営側は3つのとても思い切った、大切な達成すべき目標を提言しました。

これらの提言のどれでも1つクリアできない場合は、経営陣全員が辞めること約束し、その固い決意を表明したのです。
それは、2000年4月より満を持して行われたNRPは、華々しく叩きだされた表明はすべて1年前倒しで達成されました。
NRPの成功とその後の日産自動車の復活ぶりは、数字の面からも明らです。
多くあった損失は、多額の赤字になっていた99年度からわずか1年後に黒字になりました。

咲いた理由

日産自動車がここまで大きく返り咲いた理由のうちの一つが、徹底した経費を削減したことであると私は考えています。
豊富な経験に裏づけられたその経営手腕から、コストカッターと呼ばれたゴーン社長の本領が発揮された形です。

その中にでも日産自動車の企業の復帰に大きく尽力したのは、全てのコストの60%を占める購買コストの削減でありました。
経費削減は、技術開発部門と購買部門が一丸となって達成させました。
取引先である部品メーカーから詳しく原価を減らしていく策をを募集し、7万件に近い案件が集まりました。

目標の成功

提案は詳しく調査して、実現してもよいと思ったものから順次採用されました。
そして取引先においての関係性も、今までのサプライヤーとも考え直してみることも行われ、部品・素材を集中して購入していくことを進めました。
そのために取引するサプライヤーの数を99年の1145社から、2002年には600社へとほぼ半減させました。

こうした活動の結果、日産自動車は目標である「3年間で20%のコスト削減」を上回るペースで、購買コストの削減に成功したのです。
日産自動車のコスト削減は、外国人でありコストカッターと呼ばれたゴーン社長だからこそできたとも言えるでしょう。

改革と再生

一連の改革の中では、村山工場をはじめとする5工場の閉鎖、2万人を超える人員削減、500社を超えるサプライヤーとの取引停止など、痛みを伴なうものも多く存在したそうです。
ゴーン社長がメスを入れたにことにより行われた数々の改革によって、日産自動車は危うくその危機を乗り越え、再生を果たしたことは事実だと考えてよいでしょう。

単純に経費削減をを唱えるばかりではなく、何%減を目標に掲げるのかを明確にし、部品1個に対して何円原価をカットすればよいのか、といった具体的な数値目標を設定する意義は大きいです。
達成期限を定めることにより、目標の数値と同様に大切なのが、いつまでに達成するのかという期限を決めることです。

RPで掲げられた主なコミットメントには、いずれも“いつまでに”という期限が設定されていました。
それは期限が3年と短かかったため、スピード感を持って素早くコスト削減に取り組んだことが、目標の1年前倒しでの達成につながったのでしょう。