ヤフーの話

代表の交代

Yahoo!JAPANドーム(通称ヤフードーム)で福岡県民のみならずいまや日本中から人気のあるIITサービス業界において、大手のヤフーに大きな衝撃が走りました。
井上雅博社長(55)が職をやめて、その後に宮坂学執行役員(44)が就任することを発表したのです。

株主総会後にその役職に就くが、取締役4人のうち3人が辞めるという、いわゆる総入れ替えであり、突然の代表交代に、筆頭株主のソフトバンク社長を務める孫正義会長(54)との微妙なズレを指摘する向きも考えられます。

記者会見会場で何を語るか注目される中、井上氏は「いまだかつてソーシャル・ネットワーキング・サービスを使ったことがなく、それどころか携帯電話もカバンに入れたままのことが多く、いつも引け目に感じていた」と述べました。

 

世代の変化

スマートフォンなど、ネットの世界の急激な変化に自分がついていけないことを退任の理由に挙げました。
しかしヤフーの業績は好調です。2012年3月期の売上見通しは約3,000億円、経常利益は約1,600億円で、上場企業のトップ50に入るのは周知であり、1996年の創業以来、増収増益の一途を辿りました。

時価総額は1兆円を超えており、短期間でここまで伸ばしてきたのは、間違いなく井上社長の功績であり、同席した孫会長は、現経営陣について「98点ぐらいのレベル」と高く評価しているそうです。
しかし、IT界で猛烈なるスピードで急伸しているスマートフォンやSNSでは、やや遅れがちです。

最先端のサービスを活用しきれていないことを辞任の理由に挙げたのは、それなりに納得できます。
しかし会見では孫氏と井上氏のズレがあるようにも見えたが、井上氏がヤフーから完全に辞めてしまってから、ソフトバンクの取締役も「残らないと思う」と話しました。

それに対し孫会長は「せめてソフトバンクは続けてほしい」と慰留する場面がありました。
辞任の背景に何かあったのだと私は考えます。

 

井上氏の歴史

1957年2月東京にて正を受けた井上氏は、学生時代にはコンピュータープログラムの作成に没頭したパソコン・オタクの先駆けでもあります。
ソード電算機システムを経て、87年にソフトバンクのシステム関連会社であるソフトバンク総合研究所に転職しました。

その後、Yahoo! JAPANの代表に就任します。
ここで知っている人がほとんどだと思いますが、Yahoo! JAPANについての説明もしておきます。

 

Yahoo! JAPANについて

Yahoo! JAPANは、サービスを始めてから、たった5ヶ月後で1日100万PVを突破しています。
2000年には1日1億PVを達成し、同じく2004年には1日10億PVを突破し、国内でも一番有名なWebサイトの中の一つとして認められています。

最近では、「Yahoo!ブックマーク」や、動画配信サービス「Yahoo!動画」、ソフトバンクにおける携帯電話に向けたポータル専用のサイト「Yahoo!ケータイ」など、さらに色々なサービスを提供しています。

Yahoo! JAPANは「何をしていても、すぐそばにYahoo! JAPAN」、「人々の生活をより豊かに、そして便利にしていく『ライフエンジン』」を目標として、サービス向上を目指しています。

楽天の話

グローバル向けの企業

楽天社長である三木谷浩史氏がいうには世界公用語である言語つまり英語が話せない、書けない役員に対して、2年経っても習得できない場合はクビにすると語ったそうです。
私はなぜ楽天は急にグローバル化へと舵を切り始めたのかを考えてみました。

現在、国境や国という概念が大きく変わっているのに、唯一大きく取り残されているのが日本であると言われています。
そして社会のトップ層が英語をしゃべれないのは世界中で恐らく日本だけだと考えられます。
ヨーロッパ以外の国でも英語は話せるという国がほとんどなのです。

さらによくよく日本や世界の経済を見てみると、サービスに対するニーズが高まると同時に、その重要度は高まります。
一方、日本の企業は、トヨタにせよソニーにせよ、メーカーを中心にモノで国際化してきました。

しかし現在ではiPad、iPodに代表しているように、組み合わさりつつあり、モノだけの価値は下がって、サービスの比率が上ります。
それに対して「日本人は手先が器用」「モノづくりの国ニッポン」と言われてしまえば、モノは作っても利益を全部持っていかれることになりかねません。

 

英語公用語化

楽天はまだ年数が浅い比較的若い企業だから、これから20年、30年というスパンで日本を見たとき、とても大きな危機感を抱いていると考えられます。

その危機感の象徴が社内の英語公用語化です。
そして私は英語化にする理由は二つあると考えます。

 

英語化の理由

一つは、楽天を世界一のインターネットサービス企業にするためです。
もう一つは、楽天が変われば他の会社にも影響を与えるということです。

日本の企業や一般家庭にも、「やっぱりやらなきゃいけない」という意識が広がるきっかけになればいいと思ってのことなのでしょう。
正直を言えば、英語を公用語にしようというのは、日本人にとっては大歴史にさえも影響を及ぼすぐらいの大きな偉業です。

それぐらいのことをしないと、日本は終わりだと思っているのはいうまでもありません。
私は日本の文化や伝統をんじるのはいいと考えます。
しかし、ガラパゴス状態から脱して、多様化しないとサバイバルはできないのは明らかですよね、私が思ったのは日本人を使うとコストが高いです。

しかし労働力が足りなくなるのだから、海外から来てもらうしかありません。
日本人が英語を話せるようになれば、海外の人も日本で働きやすくなります。
楽天はインドから来る人や、中国の方も積極的に採用し、ゆくゆくは幹部候補生となるよう育てているようです。

 

今後の展開

中国人、インド人は今までエンジニアが中心だったが、今後はビジネス系の職種も採用しようとする動きがあります。
楽天はそのために英語を公用語化したのでしょう。
日本では日本語が話せないと、色々と影響が出てくるが、英語に変わると全ての人が皆平等になります。

もう英語は絶絶対に条件な条件であり、読み書きそろばんのそろばんと同じと考えてもよいでしょう。
その意味で三木谷浩史氏は、楽天で英語がしゃべれない社員は問題外と言ったのでしょう。
グローバルに言語は話せるようになると、世界の人々とアクセスできるため、様々なノウハウを見つけ、吸収することができます。

なぜ楽天が強いかを考えると、私は三木谷浩史氏が世界における成功した例に触れてくることで、よい考えやシステムを見つけ、それを実行するからだと考えます。
彼はとても天才であるといわけではないように思います。

ミサワホームの話

社長の成り行き

林氏といえば朝日ソーラーだが、その林がトヨタと組んでいったんは進出いしかけたのが住宅事業だが業界の先達です。
業者(ミサワホーム)の三澤氏は最近、新規建築メーカーのミサワ・インターナショナルを立ち上げたのです。

三澤氏は70歳になってから、4年前の夏、経営難に陥ったミサワホームから追放されました。
しかも産業再生機構傘下で再建を進めるためのけじめとして、持ち株もすべて供出させられたことは周知のことであり、三澤は役員としても株主としても、完全に影響力を失うことになります。
ちなみにミサワホームでは、竹中平蔵・元金融相の実の兄にあたる竹中宣雄の社長就任が決まっています。

そもそもの原因は自ら招いた経営不振です。
カリスマといわれた創業者がここまでひどい扱いを受けることはあまりないことです。
三澤にとっては、何があっても許せない成り行きだろうと思われます。

 

社長の経歴

学生時代に考案した木質パネル接着工法を事業化し、これを武器にミサワホームを業界大手におしあげたこともあります。
よくも悪くも、プレハブ業界を代表する人物だがしかし、現在の三澤は、従来のプレハブとは対極にある“200年住宅”「HABITA」を擁しています。

住宅業界に再び打って出ようとしていることは事実です。
柱を太くすることで、しっかりと乾燥させた国産材を使って、日本の一般的な民家などの5倍の耐久性を現実にさせようという野心的な試みもあるそうです。

ミサワホームの代表的工法である木質パネルを使ったつなぎ止める工法は、三澤氏独自がふと天井裏にはどこにでもあるあの太い家屋にとって重要な、建材である『はり』を邪魔だと感じたことから発想したものです。

今はそれとは全然ま逆の重い感じの住宅づくりで、業界に一矢報いようとしています。
建築家はだいたい70歳を過ぎてから代表作をつくるものであり、丹下健三さんの設計した東京都庁を見るようにうながしました。
ミサワホームを離れてからすぐ後に、個人の資産から7億5000万円の資本金を知恵をしぼって考え出すことで、ミサワ・インターナショナルを起業しました。

 

再び登る

すでに販売・施工の協力会社が20社ほど集まり、すでに販売を始めているそうで、その中には「三澤さんがまた事業をやるなら」と名乗りを上げた業者もいるほどです。
商談の場では、自然と昔話に花が咲くようであり、若いころの自分に、灰皿をぶつけてきた人もいたと話し、お客さんに湯のみを投げつけた、という話も聞かされたそうです。

しかもそのお客さんは家を建てさせてくれたが、自分にはそのようなことは覚えていなかったというエピソードがあります。
我をも忘れる勢いで情熱をかけミサワホームを伸ばしていたころのエピソードであるのだが、ミサワ・インターナショナルの実質的な営業初年度である昨年は1億円の利益を確保しています。

しかし、今年はそれを6億円に増やし、さらに来年は24億円に持っていく計画であり、市場はどこでもいい、上場を目指しており、そして最終的には、住宅最大手になりたいと語っているそうです。