ヤフーの話

代表の交代

Yahoo!JAPANドーム(通称ヤフードーム)で福岡県民のみならずいまや日本中から人気のあるIITサービス業界において、大手のヤフーに大きな衝撃が走りました。
井上雅博社長(55)が職をやめて、その後に宮坂学執行役員(44)が就任することを発表したのです。

株主総会後にその役職に就くが、取締役4人のうち3人が辞めるという、いわゆる総入れ替えであり、突然の代表交代に、筆頭株主のソフトバンク社長を務める孫正義会長(54)との微妙なズレを指摘する向きも考えられます。

記者会見会場で何を語るか注目される中、井上氏は「いまだかつてソーシャル・ネットワーキング・サービスを使ったことがなく、それどころか携帯電話もカバンに入れたままのことが多く、いつも引け目に感じていた」と述べました。

 

世代の変化

スマートフォンなど、ネットの世界の急激な変化に自分がついていけないことを退任の理由に挙げました。
しかしヤフーの業績は好調です。2012年3月期の売上見通しは約3,000億円、経常利益は約1,600億円で、上場企業のトップ50に入るのは周知であり、1996年の創業以来、増収増益の一途を辿りました。

時価総額は1兆円を超えており、短期間でここまで伸ばしてきたのは、間違いなく井上社長の功績であり、同席した孫会長は、現経営陣について「98点ぐらいのレベル」と高く評価しているそうです。
しかし、IT界で猛烈なるスピードで急伸しているスマートフォンやSNSでは、やや遅れがちです。

最先端のサービスを活用しきれていないことを辞任の理由に挙げたのは、それなりに納得できます。
しかし会見では孫氏と井上氏のズレがあるようにも見えたが、井上氏がヤフーから完全に辞めてしまってから、ソフトバンクの取締役も「残らないと思う」と話しました。

それに対し孫会長は「せめてソフトバンクは続けてほしい」と慰留する場面がありました。
辞任の背景に何かあったのだと私は考えます。

 

井上氏の歴史

1957年2月東京にて正を受けた井上氏は、学生時代にはコンピュータープログラムの作成に没頭したパソコン・オタクの先駆けでもあります。
ソード電算機システムを経て、87年にソフトバンクのシステム関連会社であるソフトバンク総合研究所に転職しました。

その後、Yahoo! JAPANの代表に就任します。
ここで知っている人がほとんどだと思いますが、Yahoo! JAPANについての説明もしておきます。

 

Yahoo! JAPANについて

Yahoo! JAPANは、サービスを始めてから、たった5ヶ月後で1日100万PVを突破しています。
2000年には1日1億PVを達成し、同じく2004年には1日10億PVを突破し、国内でも一番有名なWebサイトの中の一つとして認められています。

最近では、「Yahoo!ブックマーク」や、動画配信サービス「Yahoo!動画」、ソフトバンクにおける携帯電話に向けたポータル専用のサイト「Yahoo!ケータイ」など、さらに色々なサービスを提供しています。

Yahoo! JAPANは「何をしていても、すぐそばにYahoo! JAPAN」、「人々の生活をより豊かに、そして便利にしていく『ライフエンジン』」を目標として、サービス向上を目指しています。

楽天の話

グローバル向けの企業

楽天社長である三木谷浩史氏がいうには世界公用語である言語つまり英語が話せない、書けない役員に対して、2年経っても習得できない場合はクビにすると語ったそうです。
私はなぜ楽天は急にグローバル化へと舵を切り始めたのかを考えてみました。

現在、国境や国という概念が大きく変わっているのに、唯一大きく取り残されているのが日本であると言われています。
そして社会のトップ層が英語をしゃべれないのは世界中で恐らく日本だけだと考えられます。
ヨーロッパ以外の国でも英語は話せるという国がほとんどなのです。

さらによくよく日本や世界の経済を見てみると、サービスに対するニーズが高まると同時に、その重要度は高まります。
一方、日本の企業は、トヨタにせよソニーにせよ、メーカーを中心にモノで国際化してきました。

しかし現在ではiPad、iPodに代表しているように、組み合わさりつつあり、モノだけの価値は下がって、サービスの比率が上ります。
それに対して「日本人は手先が器用」「モノづくりの国ニッポン」と言われてしまえば、モノは作っても利益を全部持っていかれることになりかねません。

 

英語公用語化

楽天はまだ年数が浅い比較的若い企業だから、これから20年、30年というスパンで日本を見たとき、とても大きな危機感を抱いていると考えられます。

その危機感の象徴が社内の英語公用語化です。
そして私は英語化にする理由は二つあると考えます。

 

英語化の理由

一つは、楽天を世界一のインターネットサービス企業にするためです。
もう一つは、楽天が変われば他の会社にも影響を与えるということです。

日本の企業や一般家庭にも、「やっぱりやらなきゃいけない」という意識が広がるきっかけになればいいと思ってのことなのでしょう。
正直を言えば、英語を公用語にしようというのは、日本人にとっては大歴史にさえも影響を及ぼすぐらいの大きな偉業です。

それぐらいのことをしないと、日本は終わりだと思っているのはいうまでもありません。
私は日本の文化や伝統をんじるのはいいと考えます。
しかし、ガラパゴス状態から脱して、多様化しないとサバイバルはできないのは明らかですよね、私が思ったのは日本人を使うとコストが高いです。

しかし労働力が足りなくなるのだから、海外から来てもらうしかありません。
日本人が英語を話せるようになれば、海外の人も日本で働きやすくなります。
楽天はインドから来る人や、中国の方も積極的に採用し、ゆくゆくは幹部候補生となるよう育てているようです。

 

今後の展開

中国人、インド人は今までエンジニアが中心だったが、今後はビジネス系の職種も採用しようとする動きがあります。
楽天はそのために英語を公用語化したのでしょう。
日本では日本語が話せないと、色々と影響が出てくるが、英語に変わると全ての人が皆平等になります。

もう英語は絶絶対に条件な条件であり、読み書きそろばんのそろばんと同じと考えてもよいでしょう。
その意味で三木谷浩史氏は、楽天で英語がしゃべれない社員は問題外と言ったのでしょう。
グローバルに言語は話せるようになると、世界の人々とアクセスできるため、様々なノウハウを見つけ、吸収することができます。

なぜ楽天が強いかを考えると、私は三木谷浩史氏が世界における成功した例に触れてくることで、よい考えやシステムを見つけ、それを実行するからだと考えます。
彼はとても天才であるといわけではないように思います。

ミサワホームの話

社長の成り行き

林氏といえば朝日ソーラーだが、その林がトヨタと組んでいったんは進出いしかけたのが住宅事業だが業界の先達です。
業者(ミサワホーム)の三澤氏は最近、新規建築メーカーのミサワ・インターナショナルを立ち上げたのです。

三澤氏は70歳になってから、4年前の夏、経営難に陥ったミサワホームから追放されました。
しかも産業再生機構傘下で再建を進めるためのけじめとして、持ち株もすべて供出させられたことは周知のことであり、三澤は役員としても株主としても、完全に影響力を失うことになります。
ちなみにミサワホームでは、竹中平蔵・元金融相の実の兄にあたる竹中宣雄の社長就任が決まっています。

そもそもの原因は自ら招いた経営不振です。
カリスマといわれた創業者がここまでひどい扱いを受けることはあまりないことです。
三澤にとっては、何があっても許せない成り行きだろうと思われます。

 

社長の経歴

学生時代に考案した木質パネル接着工法を事業化し、これを武器にミサワホームを業界大手におしあげたこともあります。
よくも悪くも、プレハブ業界を代表する人物だがしかし、現在の三澤は、従来のプレハブとは対極にある“200年住宅”「HABITA」を擁しています。

住宅業界に再び打って出ようとしていることは事実です。
柱を太くすることで、しっかりと乾燥させた国産材を使って、日本の一般的な民家などの5倍の耐久性を現実にさせようという野心的な試みもあるそうです。

ミサワホームの代表的工法である木質パネルを使ったつなぎ止める工法は、三澤氏独自がふと天井裏にはどこにでもあるあの太い家屋にとって重要な、建材である『はり』を邪魔だと感じたことから発想したものです。

今はそれとは全然ま逆の重い感じの住宅づくりで、業界に一矢報いようとしています。
建築家はだいたい70歳を過ぎてから代表作をつくるものであり、丹下健三さんの設計した東京都庁を見るようにうながしました。
ミサワホームを離れてからすぐ後に、個人の資産から7億5000万円の資本金を知恵をしぼって考え出すことで、ミサワ・インターナショナルを起業しました。

 

再び登る

すでに販売・施工の協力会社が20社ほど集まり、すでに販売を始めているそうで、その中には「三澤さんがまた事業をやるなら」と名乗りを上げた業者もいるほどです。
商談の場では、自然と昔話に花が咲くようであり、若いころの自分に、灰皿をぶつけてきた人もいたと話し、お客さんに湯のみを投げつけた、という話も聞かされたそうです。

しかもそのお客さんは家を建てさせてくれたが、自分にはそのようなことは覚えていなかったというエピソードがあります。
我をも忘れる勢いで情熱をかけミサワホームを伸ばしていたころのエピソードであるのだが、ミサワ・インターナショナルの実質的な営業初年度である昨年は1億円の利益を確保しています。

しかし、今年はそれを6億円に増やし、さらに来年は24億円に持っていく計画であり、市場はどこでもいい、上場を目指しており、そして最終的には、住宅最大手になりたいと語っているそうです。

ゼネラル・エレクトリック

GE

多角的企業

ゼネラル・エレクトリックはアメリカの多角的企業です。
昔は世界で一番大きいとされる総合電機メーカーでもありました。
現在では様々な事業を展開する、世界最大クラスの多角的企業です。

そしてGEと言えば20世紀が誇る最大の経営者と賞賛された同社元CEO、ジャック・ウエルチ氏を思い浮かべる方が多いと思います。
ゼネラル・エレクトリックでしょう。そしてこの会社で思い浮かべるのは20世紀を代表する経営者と言われていた、同じ会社が元になっているCEO、ジャック・ウエルチ氏を想像する人が多いと思います。

 

CEO

ウエルチ氏は、1981年より始まった20年という歳月の中、GEを不動地位に導いた後、現在の会長でありCEOであるかのジェフ・イメルト氏にCEOの座を譲り渡しました。

後任に選んだイメルト氏に対して、ウエルチ氏は、「今後の20年間を君に託した」と言い放ったわけは、自分と同じくしてGEの最高経営者は長期に渡る政権を維持することを前提として企業のトップを務めるんだということをアピールして述べました。
GEは、長期にわたる、結果を作り出せる機会を、指導者は結果を出せる機会を長期に渡り与えるというものです。

イメルト氏は、毎年訪日しては会うクライアントパートナー企業のトップが頻繁に変わることです。
そのためGE流哲学というものがあるのだとすれば、わずか6年にも満たないイメルト氏のCEOとしての在任期間が一番長いことに驚いています。

価値観のビジネスからすれば、どうすれば3年間限定期間のCEOになれるのか、想像もできませんこれは、在任わずか3年間ばかりで、CEOとしてのまともな仕事ができるはずがないだろうという意味を込めているようです。
反対にいってしまえば、長期間に渡って企業業績を上げ続けるためには、経営者は長期的にその席にい続けることが重要であるということをGEはわかっているということです。

 

業績を上げる為

実は、我が国においても裏付けした証明した研究がありました。
そして神戸大学教授三品氏は、近年において上場を果たした企業千数社の過去50年間の財政におけてまとめて分析を行い、その結果、持続的な成長を続け過去最高益を何度も更新した「優良企業」役120社では、同じ経営者が長期間にわたってその座にあった点が共通したそうです。

また、これら120社が成長を続けられた理由について、独自の事業立地を選んだことにあるとしており事業立地とは、端的には「ポジショニング」のことであります。
純粋な意味での「戦略」そのものであり、「戦略」とは、「長期的な競争優位性を維持できるポジションを構築すること」のことです。

ただ戦略自体が取らぬ狸の皮算用にならぬよう現場の「戦術」にまで落とし込み、実際の「強み」にまで磨き上げるためには長い時間を要しています。

 

リーダーシップ

優秀な経営者が先の展望を見誤らなければ的確な企業戦略を打ち出し、長期的に企業戦略を打ち出し続けることにより、リーダーシップを取り続けた企業こそが、成長を持続できるのだということがいえるでしょう。
また私が考えるに、経営者がトップに長く居座り続けすぎてしまうことの弊害ももちろんありますよね。

そのことで自身の出処進退を見極めるだけの見定める力が経営者には必要でしょう。
またイメルト氏が45歳でGEのCEOに選ばれたように、長期にわたってリーダーシップを発揮できるように、若いうちにCEOの座に就かせることが求められます。

ワタミグループ

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強さの秘訣

ワタミグループが強さを増していて、このところの経済不況の悪影響で外食産業が減退していく中、その勢いには目を見張るものがあります。
2009年3月期にはワタミの連結売上高を調べたところ1112億円(前年比7%増)、経常利益61億円(前年比18%増)。
いずれも過去最高を記録です。なぜワタミはここまで強いのか。

その答えは同社の徹底した“理念経営”にあると私は考えます。
「地球上で一番たくさんの“ありがとう”を集めるグループになろう」。
代表の渡邉氏はこの言葉を全社員4000名とどこまでも一貫して共有し、迷うことのない経営を実現させました。

この“理念経営”が不況下での過去最高益へと結実したものと考えられます。
今回、ワタミ流の“理念経営”の秘密に迫ってみましょう。

このところの不況により外食産業は厳しい状況の中、ワタミの外食事業は依然として好調で。
ワタミグループにとって、経済不況は何の影響もなく、むしろ応援してくれる追い風でもあります。
なぜならば不況になればなるほど、お客様は居酒屋 に対してより厳しく選ぶようになります。
そのようになると、ワタミは強みは増すからです。

 

自社限定の素材

ワタミでは食材の面において安心・安全に食べれることにこだわりを置いており、野菜料理には自社 農場「ワタミファーム」で採れた有機野菜のみを使っています。
今までのパターンから考えると「居酒屋ならどこに行っても変わらない」と考えていたお客さんが「せっかく大切なお金を消費するなら、有機野菜を使っているワタミに行こう」とワタミを選んでくださることはわかっています。

さらにお客様は味だけでなくお客様への対応の違いまで、ちゃんと見ていただいていました。
ですから、外食におけるマーケットが、たとえ小さくなったとしても、ワタミは店を大きくすることができ、 不況のときに低迷していた外食事業の業績も今年3月に底を打ちました。

 

現場で見た気遣い

ここ近年では”串のない焼き鳥”開発に成功し、世間で周知されています。
串に刺さっているのが焼き鳥だという固定概念があると思います。
しかしワタミの現場で働いている社員から提案があったそうです。

「お客様のほとんどは焼き鳥の串を抜いてから、お箸で召し上がっています。
それなら最初から焼き鳥を串に刺さずにお出ししたらどうでしょうと提案しました。
そして料理をお出しする際は、冷たいお皿で持っていくのではなく、熱い鉄 板に乗せるようにすれば焼き鳥が冷めることもなく、お客様にアツアツのまま召し上がって頂けます」と。

2009年3月期の売上高は145億円、経常利益は15億円にものぼり、2004年の新規参入からわずか5年で高収益事 業へと育て上げました。
その秘訣は何なのでしょう。
私は企業における良い姿勢がお客様にわかってもらえた結果だと考えています。

その姿勢とは「どんどんお客様にとって充実した気持ちになってもらおう」というものです。
それは「もっと商売をして利益を伸ばそう」というものではありません。
ワタミではお客様の目線に立ってみることで、全く何もないところから新しい発想を実現してきたように思います。

それを表している代表例が「4大ゼロ運動」です。この運動を推進した結果、多くのお年寄りの方か ら”ありがとう”をもらうことができ、結果として好業績につながっていると考えられます。

NISSAN(日産)

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NPR

新生日産自動車において99年10月、社長の座に就いた言わずと知れたカルロス・ゴーン氏は経営を抜本的に立て直す計画として「日産リバイバル・プラン(NRP)」を発表したことは記憶に新しい人が多いでしょう。
このNRPの中で経営側は3つのとても思い切った、大切な達成すべき目標を提言しました。

これらの提言のどれでも1つクリアできない場合は、経営陣全員が辞めること約束し、その固い決意を表明したのです。
それは、2000年4月より満を持して行われたNRPは、華々しく叩きだされた表明はすべて1年前倒しで達成されました。
NRPの成功とその後の日産自動車の復活ぶりは、数字の面からも明らです。
多くあった損失は、多額の赤字になっていた99年度からわずか1年後に黒字になりました。

 

咲いた理由

日産自動車がここまで大きく返り咲いた理由のうちの一つが、徹底した経費を削減したことであると私は考えています。
豊富な経験に裏づけられたその経営手腕から、コストカッターと呼ばれたゴーン社長の本領が発揮された形です。

その中にでも日産自動車の企業の復帰に大きく尽力したのは、全てのコストの60%を占める購買コストの削減でありました。
経費削減は、技術開発部門と購買部門が一丸となって達成させました。
取引先である部品メーカーから詳しく原価を減らしていく策をを募集し、7万件に近い案件が集まりました。

 

目標の成功

提案は詳しく調査して、実現してもよいと思ったものから順次採用されました。
そして取引先においての関係性も、今までのサプライヤーとも考え直してみることも行われ、部品・素材を集中して購入していくことを進めました。
そのために取引するサプライヤーの数を99年の1145社から、2002年には600社へとほぼ半減させました。

こうした活動の結果、日産自動車は目標である「3年間で20%のコスト削減」を上回るペースで、購買コストの削減に成功したのです。
日産自動車のコスト削減は、外国人でありコストカッターと呼ばれたゴーン社長だからこそできたとも言えるでしょう。

 

改革と再生

一連の改革の中では、村山工場をはじめとする5工場の閉鎖、2万人を超える人員削減、500社を超えるサプライヤーとの取引停止など、痛みを伴なうものも多く存在したそうです。
ゴーン社長がメスを入れたにことにより行われた数々の改革によって、日産自動車は危うくその危機を乗り越え、再生を果たしたことは事実だと考えてよいでしょう。

単純に経費削減をを唱えるばかりではなく、何%減を目標に掲げるのかを明確にし、部品1個に対して何円原価をカットすればよいのか、といった具体的な数値目標を設定する意義は大きいです。
達成期限を定めることにより、目標の数値と同様に大切なのが、いつまでに達成するのかという期限を決めることです。

RPで掲げられた主なコミットメントには、いずれも“いつまでに”という期限が設定されていました。
それは期限が3年と短かかったため、スピード感を持って素早くコスト削減に取り組んだことが、目標の1年前倒しでの達成につながったのでしょう。

転職市場

不況の始まり

昨今の転職市場は求人件数が激減した1年でした。
2008年の年初から予兆はありました。
サブプライム問題から派生した金融危機により、その年の6、7月ころに国内大手の不動産が倒産したころから一気に加速しました。

特に9月のリーマンショック以降はほぼ全業界、全業種、全職種で業績が悪化の一途をたどりその結果、固定費削減のために人件費のカットに乗り出す企業や採用に投資する余裕のない企業が激増し、求人件数は激減しました。

状況は決して良くはありませんが、求人を出す数を持続している業界もなかにはあり、その代表となるものが、エコロジー分野です。この先しばらくは世界の状況を見てもエコロジーを大切にする動きは続くとみられており、求人が求められる動きは堅調を維持するでしょう。
また、外食をメインとしているサービス業界も人数が足りず、困っている状態が続いています。

 

外食業界の動き

restaurant外食業界全体に言えることではなく、比較的安価で提供している飲食店の求人の幅がどんどん増えていますが、景気が良い時期には消費者側にも経済的な余裕が少しはありました。

多少料金が高かったとしても、美味しいものが食べられる飲食店に人気がありましたが、不況に入ったことで皆、財布の紐を閉じるようになり、
今までよりももより安い店に行くようになりました。

そこでなるべく値段層が低い比較的庶民に向けた店が繁盛し、人手が足りなくなっているというわけです。
特に需要が高くなっているのは店長候補、さらに一定の場所を監督できる人です。そもそもこの業界自体が、常に一定して人材不足なので、この状況はしばらく続くと見ています。

 

IT業界の動き

IT業界も飽和状態とはいえ、全てをよくみると実は人手は足りておらず、求人件数も減少していませんが、システムを新たに開発して欲しいとのニーズもまだまだ高いまま保っています。
もっとも不況だからこそなのでしょうが、新規開発案件よりもリプレイス系の割合が増えているようです。

メーカー、一般企業ともに満遍なく求人はありますが、職種では最もニーズが高いSEを中心に、C++やJAVAなどのオープン系プログラマー、プロジェクトリーダー、マネージャーも相変わらずニーズは高いです。

商社が求める人の数は驚くほどは減少しておらず、最近の資源高騰により利益を高く上げており、常に人手は足りていません。
大手総合商社すなわち日本のトップ企業のなかでも、営業利益のおおよそ大半といっても過言ではない分量の資源などのいわゆるエネルギー部門が稼いでいる所が垣間見られます。

 

企画・開発

また、2007年・2008年の半ばにかけて、商社の投資銀行機能、いわゆるベンチャーキャピタル機能が注目されましたころのあの時期、基本的にはお金を動かすのはやはり金融機関であり、ビジネスを動かすのが商社であるのは周知のことではあります。
しかし商社が自身のサプライチェーンを使ってビジネスマッチングを行い、投資の機会にしていきました。

商社が資源で上げた利益を事業投資に使い始めたということであり、すなわちそれができる人材が求められていることは確かです。
職種名でいうと事業企画・事業開発などです。

雇用の状況

データを見る

転職の市場は、雇用に対する全体に取り巻く問題と相関な関係にあります。
まずは全体をつかむことから始めたいので、雇用状況のデータつまりは雇用全体を浮き彫りにしている現われの部分、見方によって大きく読み違えがちです。

まず長期的な表れをを押さえておきたいため、特に買い手と売り手の需給バランスを単純にに表すのが求人の倍率を示したデータです。
バブル期のピークであった1991年卒業者の2.86倍(学生1人当たり求人数)に対して、2012年卒業者では約6割減の1.23倍となっています。

需給バランスだけでいえば、1996年の金融不況と2000年のITバブル崩壊に次ぐ低さです。
しかしながら求人における総数をのぞいてみると、1991年には84万件もの数値に対して、2012年には56万件という−33%もの減少ぶりです。

求人の倍率−57%からすると大きく離れています。
この差にができている原因は大学生(就職を希望している学生)の増加によるものだと考えられます。
サービス業の多彩な内訳だが、ここ最近の求人における件数の動きをみてみると介護の分野、人材系、「IT・情報通信連」がけん引しています。

 

ITや情報・通信系

bil特に、IT関連職は、スマートフォン、ソーシャルアプリ、クラウドソーシング、ビッグデータ解析など、求人需要が同時多発的に増加していることもあって、就業人口の伸びが、需要の急増に対応できていない“未曾有の採用難”と言っていい状況にあります。

2012年以降も、この傾向は続くばかりか、ますます激化する様相を見せていることによりIT人材の育成は、日本の雇用政策上、重要な焦点のひとつと言ってよいでしょう。

もう1つの変化は、需要の増え方に左右されない厳し過ぎる採用の傾向だが特に、90年代における後半に起こった金融バブル崩壊以降、海外企業との競争が一気に激化する中で、「終身雇用」「年功序列」が崩れました。

一方で、一気に「成果主義」の導入が進みます。
それと同じような時期に「いかに暇な人、余った人材を持たないで、使える勢力のある人間だけを残した組織にしていくか?」という課題が形になってはっきり現れています。

 

才能のある者を欲する

最終的に「少し人手が足りない事態が起こったとしても、採用基準を低くすることはない」という厳しく選んでいく採用が定着化しました。働きたいとい言っている人の数とと実際の新しく雇う側の人数にかなり差が生まれています。
もし運良くどこかの会社に入れたとしても、 成績が悪くなっていけば、まもなく時間の経たないうちに、首を切られる(リストラ)に合うことになります。

その場だけの一瞬の転職ではなく、なるべくできる限り自分自身が、勉強し続けられる姿勢を保てる様な仕事探しが出来れば、転職の苦労や失敗を克服することもできるでしょう。
涙ぐましい努力して経験を積んでいたとして、運悪くリストラされたとしても、 努力した姿勢とそこから学んだ知識は後々に生かせるものです。
まずは何事にも前向きに進みましょう。

転職の現状

転職も慎重に

pcもはや2人いれば1人が転職経験があるという現状に、いまや転職が珍しくない時代となりました。

しかし、ここ最近では会社を変えることに慎重なビジネスパーソンが増えてきている現状があり、リーマンショックによる経済に招いた危機や東日本大震災によってかなりの不景気が続いていた日本経済におけるの転職市場も、2012年以降はかなりの活性化をとげ、買い手市場が盛んになるのではと言われています。

それでも転職希望者は増加しないのだろうかと思われるが、これまでは景気と連動して増減してきた転職希望者に何か変化は起きているのでしょうか。
今回は、その実態に切り込んでいきたいと思います。
明るい口調で工場長や先輩に挨拶をし、職場を後にするのは食品卸メーカー勤続3年目のSさんです。

 

転職経験談、Sさん

Sさんはある日の帰宅後、自宅に戻るやふと自分のパソコンの転職関連のサイトに登録してみました。
まもなく「あなたに最適な仕事があります」とスカウトメールの文字が目に留まり、正直興味半分で登録したそうです。
その文字に心が揺り動き、一〜二週間ほど悩んだ末、応募してみると、つぎつぎ面接をこなし内定をとりました。

そこで早速退職の“報告”として上司にその旨を伝え、会社側は、寝耳に水の報告に慌てて引き留めましたが決意は固く、結局Sさんの意向通りに翌月末で退社することになり、3週間の有給休暇を消化し、転職することとなり、転職先はネット広告の代理店で、オフォスは地方の工場から渋谷のど真ん中に大移動しました。

Sさんは職場における環境が大きく変化することがかなり嬉しいようです。
「今までの仕事は工場の事務室でした。しかしその職場での若手は一人だけでした。このままずっと、この環境で過ごすことができなさそうだったので、やめることを決意しました」とのことでした。

 

退職報告

退職にあたって、はっきりと転職先まで伝えての堂々とした姿に上司は少々驚きを隠せず、以前は、「実家の母が病に倒れたので、介護をするために地元に行きます」や、「自分の人生を試したいので、海外へ旅経ちます」などといった、嘘の理由で会社側へ退職を理解させる社員が大半だったからです。

今でも慰される面倒を避けるため、偽りの理由で会社を辞める人はいますが、以前に比べて転職先をオープンにするようになってきたのは確かです。
それだけ転職する人が増えたと言えるのかもしれません。
実情として、日本において年間転職人口は300万人にのぼり「労働力調査」(2011年2月)によると、転職希望者は約600万人ですから、希望者の2人に1人が転職を実現していることになります。

ちなみにビジネスパーソンが転職を決意する機会は大きく3回に分けることができ、まず1回目は入社3年目までと、新卒入社組とほぼ同じ条件で行われる第二新卒採用と呼ばれるポテンシャル(あくまで素材として)重視の転職があります。
学生時代の会社選びに違和感や違いがあった場合、再びやり直すという意味もあります。次は入社5年から30歳前後です。

 

やり直しは出来る

このことから、働き手の20才代〜60才代まで幅広いですが、企業の求める人材と転職希望者の動きがマッチして活性化しているのは35歳までです。
みなさんの職場にも中途採用で入社してくる同僚は20代が大半で、30代の人が少々くらいといった感じであり、また最近では、転職の手段もかなりバリエーションが増えてきています。

そして転職先を斡旋してくれる人材紹介型の会社もリクルートエージェンシーから、外資系の専門企業などまで、志向に合わせて数多く存在します。
こうした環境が整備されたことによって、転職が当たり前になっていったといえますが、当たり前になりつつあった転職も、ここ数年は希望者が徐々に減少してきているようです。

私は転職エージェントという仕事をしています。

転職サポート

noteあなたは転職を考えたことはありますか?

おそらく、転職を考えている方の多くは、ハローワークで情報を探したり、コンビニで求人雑誌を購入して面談を受ける、インターネットで検索して募集要項を見るなどの手段を取ると思います。

そして民間で行っている転職エージェントの存在を知らないという人が多いように思います。私も、今まで転職するときに、転職エージェントの存在を知らず、求人誌を頼りに活動していました。

最近では、転職エージェントの会社も増えてきたこと、知る人が多くなってきたことから、利用する人が沢山いるようです。

それはインターネットの情報を通して、転職エージェントのことを知り、援助を受ける人が少しずつ増えていっているのではないかと思います。

 

転職エージェントとは

転職エージェントでは求人数の豊富な情報が期待できることと、転職のプロが、無料で転職活動をサポートしてくれるのですから、これは利用しない手はありません。
各社サービス内容を見ていただくと知ることができる情報だと思いますが、通常ではありえない転職活動が可能になっていくのです。

転職エージェントという言葉をあまりみなさんは耳にしないと思うので、説明いたします。
転職エージェントとは正式に言うのであれば、「有料職業紹介事業所」と呼ばれる「厚生労働大臣の認可を受けている」民間の会社を斡旋する目的のための会社のことを指します。

そして一般的な転職エージェントは企業からの依頼により事業活動を行っています。
転職希望者に対して、求人などの情報の提供元から、面接の日程や調節など、転職活動に関することを一手にまとめて、無料で援助いたします。

 

最新、明確

転職エージェントに集まってくる求人情報は、企業先の人事担当者から直接入手した最新の情報です。
つまり、ホームページなどで転職サイトや、求人情報誌などに載っている情報と比較した場合、企業の求めている人材を明確に表している「生きた」情報であると考えられます。
最近ではエージェントとしてのサービスも充実してきています。

転職希望者にはその人に合ったキャリアコンサルタントが個別で説明を行い、どのような職業が合っているのか、また希望に沿った詳細な求人情報の提供、今までの職務の経歴書の書き方、面接に合格するための指導・対策、内定獲得時の年収がどれぐらいかいいかという交渉などのサービスを提供しています。

 

メリット

転職希望者によるメリットとは、自分のキャリアや自分に合った適性を客観的に教えてもらうことができることです。
そして効率的で機能的に転職活動を進めることができます。
そして結果的に自分だけで行う転職活動よりも満足度が高くなる可能性があるという点が挙げられます。

転職エージェントを運営している会社は、多くあります。
有名なのは、リクルートエージェント、アデコ、マイナビ、マイコミエージェント、リクナビってところでしょうか。是非、活動の選択肢として、転職エージェントの利用を加えていただければと思います。